【Live】亀の恩返し2013

久しぶりのブログ更新は久しぶりに行ったスピッツのライブについて。

スピッツのプロデューサーである亀田誠治さんが、ゆかりのあるアーティストを集めて主催していた「亀の恩返し2013」というライブの1日目(5/18)に参加してきた。

 

亀の恩返し2013

 

スピッツは前回2009年に引き続きの参加、しかもトップバッターで!やや特徴的なステージの形のためど真ん中ではないのだが、自分が座っていたそばの南東スタンドあたりが正面になるような配置だったためとても見やすかった。

■セットリスト(スピッツパート)

  1. スターゲイザー
  2. シロクマ
  3. 青い車
  4. さらさら(新曲)
  5. 春の歌

1曲目の出だし「遠く~、遠く~」から素晴らしい声の伸び。そして安定した演奏力。スピッツってこんなに演奏うまかったっけなー、と思うくらい。やはり20年以上長期間休むことなく活動を続けてきた結果なのだろう。(とはいえ「去年の夏以来のライブでデビューしたときのような気持ちで」と言っていたけど 笑)

うれしかったのは青い車をライブで聞けたこと。やっぱり名曲。このころは笹路さんがプロデューサーだったのはずだけど、聞けてよかった。スピッツの曲ってコンパクトかつ作りがシンプルだけど、曲がよいのでそれでも十分に感じるのだと思う。(あんまりごちゃごちゃした曲を聞きたくなくなったのは年齢のせいか・・・?汗)

新曲のさらさらもCD並の抜群の安定感。そして静かな始まりからサビで盛り上がり、そして、テツヤが歌うところ(何て言うんだっけ。Cメロ?)も渋く決めていた。

スピッツが終わったところ自分としては大満足だった。

 

スピッツ後は秦基博、アンジェラ・アキ、KREVA、JUJU、スガシカオがそれぞれ5曲ずつ。こうやって並べると亀田さんがプロデュースするのは実力派のアーティストばかり。出てきた瞬間に前のアーティストの余韻を引きずらず自分の空気に変えてしまうのはさすが。

KREVAとくれば、当然スピッツの草野さんとコラボした「くればいいのに」、もちろん演奏した。イントロを聞くまでこの曲のことを忘れていたのだが、改めていい曲だった。でもあの草野さんが登場した時の盛り上がりを聞くと会場はスピッツファンが多かったのかな・・・?

知ってる曲は6割くらいだったがどれもドラマティック過ぎず歌を際立たせる素晴らしいアレンジ。そして亀田さん(Ba)、小倉さん(Gt)、カースケさん(Dr)のap bankのメンバーに加え西川進(Gt)、斎藤有太(Key)、皆川さん(Key)、金原ストリングス(Strings)という最強のハウスバンドのメンバーの演奏にのってどのアーティストも存分に歌っていた。

MCでの各アーティストからの亀田さんへの感謝のコメントを聞いていると本当に強いきずなで結ばれているのだと感じる。

全メンバーの曲が終わった後は、コラボコーナー。最初はスピッツ、秦基博、KREVAでのタイムトラベル。スピッツと秦基博のコラボ聞きたいなと思っていたけど、こんな名曲で聴けるとは思わなかった。草野さんと秦さんの声の組み合わせ最高!

コラボコーナーのもう1曲はスピッツ、スガシカオ、アンジェラ・アキによる魔法のコトバ。スピッツでコーラスのきれいな曲といえば群青かな、と思っていたがたしかにこの曲もコーラスが美しい。「花は美しく~、とげも・・・」のところが最高。

ということで最初から最後までスピッツばかりで本当に幸せなライブだった。

 

最後全部ライブが終わった後に亀田さんのVTRが流れ、各アーティストそしてライブに関わったスタッフへの感謝のコメント。本当にアーティスト、スタッフを大切に思っていることが感じられるコメントだった。ライブ自体の最中にも亀田さんからスタッフへのリスペクトを感じることは多かったのだが、最後にこうやってVTRで改めて言葉にするのはスタッフもうれしいだろうな。

曲を作る人がいて、歌う人がいて、演奏のサポートをする人がいて、演奏するステージを作り上げる人がいて、演奏を映像にする人がいて、それを聞く人がいる。これだけの人が関わっていることが、よい音楽を作る土壌であり、それは一朝一夕には作り上げられないもの。それに対する感謝、恩返しなのかな、と最後のVTRを見ながら感じた。

ブログリニューアル

ようやくブログのリニューアルが完了しました。今後は更新頻度が増える(はず)。

http://orihich.net/

昨年からwordpressを使うことが多く、自分のサイトもいずれはwordpressで、ということで10月から作業をしていました。しかしレンタルサーバー変更に伴うドメイン移転に時間がかかってしまい、orihich.netが1ヶ月近くアクセスできない状況でした。ようやくドメイン問題も解決し無事にリニューアルとなりました。

ちなみに。過去の投稿は別のアーカイブ用ブログに移してあります。興味のある方はどうぞ。

http://orihich.wordpress.com/

2012年9月に南米に旅行に行った際の旅行記はアーカイブ用ブログで一時的に公開していてかなりの人気があったのですが、現在はorihich.netの新ブログのほうに移行しています。

2012年9月南米旅行 Vol.6 キト・LA編

■9/25

・キト

ガラパゴスを後にし、グアヤキル経由でキトへ。キトに到着し、空港の外に出た瞬間に酸素が薄いと感じる。(標高2,850m)

空港までホテルのピックアップがあったため、難なくホテルへ到着。そしてホテルでは今回のガラパゴスツアーを手配してくれた石倉さん@ナウタルーツと面会。日本を出発する直前にコンタクトし、ペルー滞在中にツアーの詳細を確定し、申し込みができたのは迅速な石倉さんの対応のおかげ。ガラパゴスの話やキトの食べ物やお土産について教えてもらった。ちなみに泊まっていたホテルはできたばかりの芸能人も泊まるホテルだったらしい。

とりあえず夕食にとモールのほうへ向かう。モールで一通りお土産を購入し夕食を探すが、空気が薄いためか全然食欲が出ない。結局ケンタッキー・フライドチキンで夕食。それでも食べきれなかったような。空気が薄いのでさっさと寝ることに。

■9/26

・LAへ

翌朝早起きして6時キト発の飛行機に搭乗。それでもヒューストン経由でLAについたのは3時過ぎ。

まずはLA到着後ホテルにチェックイン。ホテルの人にダウンタウンへの道を聞き移動。当初LAで友人と会えればと思ったのだが、西海岸って結構都市の間離れてることを認識しておらず。普通に観光することに。

最初の目的地はLA Lakersのホームアリーナ、Staples Centerへ。電車を乗り継いで到着するもなんと閉館・・・。とりあえず周囲で写真は撮るが撤収。翌朝再訪することに。

さらに北に向かい繁華街Hollywoodへ。一通り観光し、食事場所を探す。Magic Castleなるものを発見しテンションが上がり行ってみるも会員制のため門前払い。たしかに自分たちを横目に入っていった客は俳優さん、女優さんという感じだった。

結局食事はハリウッドのモールの中で。終電ギリギリでホテルに帰り就寝。

■9/27

・Staples Center再び

翌朝再びStaples Centerへ。今度はショップもオープンしていたため、意気揚々と物色。でもどれも2L以上のサイズ。。。どれだけデカイんだこっちの人は、と思うも唯一Steve Nashのユニホームが2Lだったので購入。友人の娘にも1枚ユニホームを購入。さっそく買ったユニホームを来てマジック・ジョンソンの銅像と一緒に撮影(facebook用)。いつかここで働くぞという思いを新たにし、ホテルへ戻る。

・帰路へ

ホテルへ戻り荷物をピックアップしてLAXへ。搭乗口でめちゃくちゃ待たされてイライラするもなんとか時間ぎりぎりに飛行機に搭乗(最後の客になった)。約11時間のフライトを経て日本へ無事帰国し、18日間におよび南米の旅は終了した。

2012年9月南米旅行 Vol.5 ガラパゴス編

■9/20

・ガラパゴス到着

ガラパゴスへ向けてのフライトは約2時間。機中で出たお菓子のパッケージにはガラパゴスアシカやゾウガメが描いてあり思わず中身を食べたあとお持ち帰りしてしまった。いよいよ島が近づいてくると海のエメラルドのきれいなこと!島が見えてくると、ついにガラパゴス!ということでテンションUP↑。通路の反対側の席のおじちゃんはいかにも冒険に行きますという恰好でカメラを持っていたのだが、どうやら窓から島が見えなかったらしく、こちらの席へ移動してきて島を見て大興奮。さすがガラパゴス!

・ハイランドツアー

ガラパゴスはバルトラ島にある空港に到着。海の色と島の感じに大興奮。空港を出たところで1日目のハイランドツアーのガイド、アンジーが待っていてくれた。アンジーの案内に従っていきなり船でサンタクルス島(一番人口の多い島)へ渡り、バスへ移動。

事前にガラパゴスでは英語のガイドをつけてくださいと要望していたため、アンジーは英語もばっちり。ところがツアーの参加客がほとんどスペイン語を話すご年配の方ばかり。ということでほとんどはスペイン語で説明+ちょっと英語での説明ということに。

最初の目的地は溶岩トンネル(Lava Cave)。入り口にゾウガメの骨がおいてあった。写真を撮って終了。

そして2つ目の目的地がゾウガメの育成地区。バスの道中からもなんとゾウガメが!デカい!動きはゆっくりだけど。最初1頭見つけて大はしゃぎだったけど、育成地区に行くとゾウガメだらけ。(そりゃそうか)バスから降りてアンジーの説明を受けつつ、ゾウガメを観察。なかなか味のある顔をしてる。動画を撮ったり写真を撮ったりしてすごす。結構観光に来ている人も多い。

ゾウガメの観察が終わるとランチタイム。ガラパゴスでの初ランチ。たしか魚+サラダ+ライス的なものだったはず。

・チャールズ・ダーウィン研究所

ランチが終わるとハイランド地区を後にしてチャールズ・ダーウィン研究所へ。ハイランド地区というのはその名の通り少しだけ高地になっている(864m)。高地のため雨が降り、樹木も多い。一応農業も可能。ガラパゴス諸島自体は高い山がほとんどないため、水を貯めることがほとんどできず農業にも向かないし、真水はほとんどない。

チャールズ・ダーウィン研究所到着。もちろん名前の由来はダーウィン博士。チャールズ・ダーウィン財団により設立されている。バスを降りて1キロ程度歩く。歩く途中にはやたら背の高いサボテンが。ゾウガメに食べられないように進化して背が高くなったらしい。水辺にはなんとイグアナがいきなり登場して驚く。(驚いたのはイグアナのほうだと思うが・・・)うれしくて写真を撮りまくるが、まさかそのあとあんなに見ることになるとは・・・。

研究所ではゾウガメを保護・飼育していた。卵からふ化させてある程度の大きさ(5年程度だったかな)までは研究所で育て、その後自然に返しているらしい。また6月にその一生を終えたロンサム・ジョージの居住地区も残されていた。ジョージには3頭の妻がいたようだが結局繁殖はできなかったらしい。この研究所にはガラパゴスのいろいろな島からのゾウガメが集められており、甲羅のかたちが違う種類のゾウガメもいた。その中でもスーパー・ディアゴと呼ばれるオスガメは1,800頭も子供を残したらしい(驚)。

この研究所にはハイブリッドイグアナなるイグアナが保護されていた。ガラパゴスにはウミイグアナ(海にもぐり海藻を食べる)とリクイグアナ(サボテンを食べる)がいるのだが、温暖化の影響で海藻が少なくなったウミイグアナがリクイグアナと交尾してできた個体らしい。体表面は黄色く、そしてかなり太ってる・・・。寝てばっかりで動く気配なし・・・。

一通り研究所の中を見た後のバスへの戻る道の中ではアンジーとおしゃべり。年代が比較的近いこともあり、日本では何を仕事にしているかとか興味がある様子。アンジーはガラパゴス生まれ、旦那さんはガラパゴスのネットワークエンジニアらしい。コンピューター関係の仕事は遅くて大変よねぇ、と妻とアンジーが共感するという流れに・・・。

・プエルトアヨラの町へ

ダーウィン研究所を後にしバスでプエルトアヨラの町へ。ホテルまで送ってもらう。宿泊したのは10部屋弱の小さいホテル。とても丁寧な対応をしてもらう。また部屋も広く開放的でかなりよい。唯一注意は歯磨き用には別に水が準備してあるので水道水は使わないように、と。(たしかに水道水はしょっぱかった。)

ホテルに荷物を置いた後は町を散策。少し暗い時間帯だったが治安にはほとんど不安を感じることもなく、店も結構開いている。まずは明後日のダイビングのショップに顔を出す。微妙に名前が違うのと、やたらちゃらい店主に警戒していたが、自分たちの顔を見て「おぉayumi!」とツアーをアレンジしてくれた方の名前を出してきたので安心。とりあえず受付を済ませ機材合わせは明日とのこと。そのあと土産屋をいくつか物色し、夕食へ。1日目はホテルの人おすすめのレストランへ。そんなに安くはないがまぁまぁおいしいかな。レストランの横のアイスショップでアイスを食べて、小さいスーパーで部屋で飲む水やお菓子を買ってガラパゴス1日目終了。

■9/21

・イザベラ島ツアー

ガラパゴス2日目はガラパゴス諸島で1番大きいイザベラ島へ。朝7時にガイドがピックアップに来ると聞いていたので、車で来るのかと思いきや、ガイド(ロドリーゴという名前)なんと自転車で声をかけに来た。そして港へ自分で歩いていってくれ、と(笑)。

港で参加者の集合を待っていると外国人男性と日本人風女性のカップルが。ん?と思っていると日本語で話しかけられ日本人だと判明。(この方にはあとあといろいろ教えてもらった。)

全員集合していざ出発。イザベラ島まではボートで2時間程度、と聞いて大したことないと思っていたのだが大間違いだった。ボートはそれほど大きくないので、波でかなり揺れてぐったり。乗客もけっこうぐったり気味だった。

イザベラ島へ到着すると船を降りたところでいきなりイグアナとアシカのお出迎え。(といってもアシカは爆睡中だけど)そのあとは溶岩でできた地形をトレッキング。比較的新しくできた陸地らしくいろいろ説明を聞きながらトレッキング。まわりはイグアナだらけ。またホワイトチップシャークの群れも発見。さらに見ているとエイとアシカまで合流し、にぎやかな風景に。ホワイトチップシャークもアシカは襲わないらしく、シャークにちょっかいをかけては逃げるというのを繰り返していた。トレッキングの最後にはウミガメも発見。ウミガメは定期的に海面に浮上してきて呼吸するというのを初めて知った。

トレッキングが終わると小さな船に乗り換えて陸地のまわりでシュノーケリング。この日は救命胴衣をつけていたので深くもぐることはできなかったが海面からはそれなりに魚を見ることができた。そろそろ船に上がろうか、という時間で船に近づいたところ、船の主人がウミガメを発見。全速力で追いかけて海中で並走し写真を撮影。ついにウミガメと一緒に泳いでしまった・・・(嬉)。アシカも近くにおり、丁寧にも水中でポーズをとってくれたのでこちらはばっちり写真に収める。

お昼は眺めのよい砂浜のそばでランチ&昼寝。料理はだいたい昨日と似たような感じかな。この日は比較的若い旅行者も多く、それぞれの旅行の話を聞く。ガラパゴスに来るような人たちは2ケ月とか世界を旅行している人が多いようで。出発時に会った外国人(イギリス人)と日本人女性のカップルは2ケ月、向かいに座っていたドイツからのカップルは1ヶ月程度。南米をまとめて回る人が多く、マチュピチュやウユニはもちろん、イグアスの滝やイースター島を回るなどかなりコアな旅行者が多い。こちらは3週間というと短いね、と言われた・・・。

さて砂浜でのランチ&昼寝タイムが終わった後はフラミンゴを見に行く。この日はかなり頭数が多かったらしくラッキーだとロドリーゴに言われた。またこのとき初めて知ったのだがフラミンゴは海水と淡水のちょうど間くらいの水のあるところに来るらしい。

さてフラミンゴ鑑賞を終えて、イザベラ島へ。帰りもボート2時間。往路ほど海が荒れていなかったためそれほどつらくないボートの旅となった。港についたところで解散。

・屋台へ

いったんホテルに帰って荷物を置いたあと翌日のダイビングの器材合わせに。スムーズに終了。

ダイビングショップでの器材合わせ後は屋台へ。イザベラ島へ一緒に行った日本人の方に屋台がおすすめと教えてもらったのだ。たしかに活気もあり何より安い。たしか10ドル弱。(そうそう、エクアドルは国の通貨がなく、USドルを使っている) 満腹になったところで昨日の小さなスーパーで飲み物を買って2日目終了。

■9/22

・ダイビング

3日目はダイビング@モスケラ島・ダフネ島。本当はハンマーヘッドシャークが見れるゴードン・ロックに行きたかったのだけど20本未満の自分とオープンウォーター取り立ての妻(旅行前にライセンスをとらせた)ではさすがに厳しく。とはいえそれなりに生物が見れるモスケラ・ダフネへ行くことに。

ツアーは毎日ガイドがピックアップしてくれるのだけど、この日はショップの店長(ちゃらい)とイントラ(インストラクター)が乗ったタクシーで迎えに来た。で、車に同乗して店長も向かうのかと思いきや、店長の家の前で店長下車(驚)。というわけでイントラのルイスと3人で島の北側の港へ。ルイスは口数少な目。港では他のツアー参加者と合流。参加者はブラジルから来た人1人、イスラエルの男性4人組+イスラエルの女性1人(別々に来たらしい)、あとイントラがルイス以外にもう1人。

1本目はモスケラでのダイビング。船の中でセッティングして、船からバックロールでイン。水はかなーり冷たい。透明度はまぁまぁかな。生物はかなりいっぱいいたのだけど、やはり寒流の中だけあってきれいな魚というよりはおいしそうな魚のほうが多かったなぁ。

1本目が終わって船で次のポイントへ移動しつつ間食。2本目はダフネで。1本目同様にバックロールでイン。壁に沿って潜っていくのはなかなか迫力があった。今回はきれいな魚もいて、ルイスに動画撮影してもらう余裕も。自分は見れなかったがウミガメやマンタはいたらしい・・・(船からあがったらブラジル人が”Muy Grande”(Very Big)って手をパタパタさせていた。)それにしても水温が低いせいか、エアの消費は早かった。残念ながらハンマーヘッドシャークは見れなかった。

・商売っ気のあるガイドさん

ダイビングを終了し、船で港へ戻る。ここからタクシーに分乗してランチの場所へ。ここで驚くべきことが。ランチの場所に行ったらルイスが厨房で料理の準備をし、サーブしているではないか!もう1人のイントラに「もしやルイスの店?」と聞くと、「そう、ルイスの店。 ルイスはダイビングショップもレストランもやっていてなかなかやり手だよ」とのこと(驚)。そんなこともあるもんだ。くだんのブラジル人とイスラエルの女の子とでご飯を食べる。ブラジル人のほうはあまり英語は得意ではないがなんとか意思疎通ができた。釣りとダイビングをしにガラパゴスに来ているらしい。かなり自由人って感じだったなぁ。

・また屋台へ

 解散になったのがたしか2時過ぎ。少し時間があるのでホテルで昼寝をし、ルイスのお店に写真を受け取りに行って、夕方例の屋台へ行き夕食を食べて3日目終了。

■9/23

・フロレアーナ島へ

4日目はフロレアーナ島へ。たしかこの日は港集合だったはず。4日目、5日目は別のホテル泊だったので、荷物のみ次のホテルにピックアップしてもらう。(そして最初から泊まっていたホテルの手配が完璧だった)

さて今日のガイドはミゲル。ちょっと年配だがとてもいい感じに日焼けしてとても健康そう。イザベラ島同様ボートで向かう。プエルトアヨラからはまっすぐ南下する。今日はそれほど海も荒れていなかった。

・冒険心ありすぎなガイドさん

出発の際には島に上陸してトレッキングをして、最後島の北のほうでシュノーケリングをするという説明を受けた。だが島に近づいたところでミゲルから提案が。いわく「今日はすごくこのあたりの海のコンディションがよいからここでシュノーケリングをしないか」と。ガイドが進めるならコンディションは良いのだろうと思い、ツアー客一同賛同。その瞬間ミゲルが先頭に立ってウェットスーツに着替え始めた!もしや一番ここで潜りたかったのはミゲルなのではないかと・・・(笑)。

たしかにミゲルが薦める通り、かなり透明度は高くコンディションは良い。水が冷たすぎるけど。魚はそれなりにいるし、アシカは遊びに寄って来てくれるしかなり楽しい。また10mくらいの海の底にはウミガメが休憩中。今日も救命胴衣をつけていたので近づけなかったが、なんとミゲルが近くまで潜っていって写真を撮影!そのあとマンタを見つけてミゲルが全速力で妻を連れて追いかけるなど、自分も楽しみ、客も楽しませる素敵なガイドだった。

・フロレアーナ島上陸~トレッキング

シュノーケルを終えてフロレアーナ島に上陸。相変わらずアシカがお出迎え。そうそう、アシカってかなりひどい鳴き声をする。「おうっ、おうっ、おうっ」(酔っぱらったおじさん風の声で)みたいな鳴き声。見た目のかわいさにはそぐわない。

トレッキング開始。フロレアーナ島もそれなりに標高があり、雨も降るため地面はかなり湿っていた。最初の目的地はゾウガメ地区。一応ここでは広い区画(四方にはゾウガメが乗り越えられない程度の壁がある)にゾウガメが飼われている。驚いたのはここのゾウガメは自分でエサはとらず人間がエサを与えているとのこと。もともと他の島にいたゾウガメなので、食べられるエサがこの島にはないかららしい。同じゾウガメに見えても島固有の状況に応じて進化してきたのだと改めて知らされる。ミゲルは生殖におけるゾウガメのしっぽの役割について熱弁。この話をするとツアー客のリアクションがいろいろあるから面白いらしい。

ゾウガメ地区を抜けて山を登っていくと大きな岩があったり、顔の形をした岩があったり不気味。海賊が使っていたらしい。海賊といえば驚きのエピソードを。当時スペインがボリビアで採掘した金銀を持ち帰るところを、海賊が襲っていたのだけど、ガラパゴスは位置的にそのための基地だったそうな。海賊にとっては航海する際の食料としてゾウガメを持ち出していてそれで数が激減したらしい。(ゾウガメは簡単に捕まえられるし、かなりの食料にもなる。ゾウガメは天敵がいなかったため逃げることもなかった)しかもこの海賊をイギリスが支援してたとかしてなかったとか(英語のため自信なし)。生き物見て自然見て「あー、よかった」、ではなくそのへんの複雑な事情も説明してくれたミゲルには本当に感謝。

トレッキングを終えてランチタイム。ランチはいつも通り。ランチをした場所のすぐそばには黒い砂浜と呼ばれる砂浜がある。溶岩が混じっているため黒いらしい。他の参加者は砂浜で一休みモードだったが、自分はここでもシュノーケリングを。ここはウミガメの産卵地でもあるらしく、ウミガメの遭遇頻度は高い。シュノーケリングで少し見ているとすぐにウミガメ発見。一緒に泳いで写真を撮ることができた。

シュノーケリングが終わると帰路へ。フロレアーナ島行きのボートは座席がなく、船の後ろ半分はオープンになっている。帰りは偶然にもイルカを見ることができ、テンションUp。それほどの揺れもなく無事プエルトアヨラ到着。夜は屋台で食事して4日目終了。そうそう夜の屋台ではイザベラ島ツアーで一緒だった日本人女性と再会し、クスコでのホテルを教えてあげた。(うまく泊まれたかなぁ?)

■9/24

・日本語の単語に詳しいあやしいガイド

ガラパゴスツアーの最後の日。泊まっているホテルからプエルトアヨラの港まで小さい船(タクシー)で。この船はだいたい1ドル、さすがにこれだけスペイン語圏にいるとスペイン語でタクシーには乗れるようになった。

さてこの日は少しトラブルが。朝8時に港前のショップで待ち合わせだったのだがなかなかガイドが来ない。また他の客もいない。待てど暮らせど迎えが来なくてこの日のツアーのオフィスに電話するも、ちょっと待ってて、と。そのうちそのショップの店員さんが来て事情を聞いてくれる。その10分後、サングラスをかけたややちゃらい男到着。実はこれが今日のガイドでそのショップの店員さと友達らしく、店員から連絡が行ったとのこと。ガイドはやや聞きなれない名前だったため、名前が思い出せない・・・。このガイドやたらガラパゴスの生物の名前の日本語に詳しく、ウミガメとかカツオドリとかそんな単語をよく口にしていた。日本人の旅行客もそれなりにいるらしく、そこから学習しているらしい。(絶対女の子の旅行客だと思うけど)

肝心のバスはガイド到着後もなかなか来ない。どうやらホテルの変更がうまく伝わっていなかったうえに、バスが故障し代車を探していたかららしい。約1時間遅れでバスが到着しいざ出発。島の北側の港へ。

・サンタクルス島のビーチ

港に到着したらこの日の船へ。この日の船が4日乗った船のうち一番きれいだった。これまでのはボートって呼び方がぴったりだが、この日は客船という呼び方がぴったりの立派な船だった。

まずはサンタクルス島の北側にあるビーチへ。白い砂浜がとてもきれいなビーチで、イグアナとフラミンゴを鑑賞。そのあと例によってシュノーケリング。ガラパゴスの海は塩分が少し強いらしくラッシュガードだけでも十分浮くことが分かったため救命胴衣なしで。ここはエイやサメ、ウミガメがいたらしいのだが、自分が見つけられたのはエイだけだった・・・。残念。

ビーチでのシュノーケリングを終えて客船に戻る。小さなゴムボートがビーチまで迎えに来て、ゴムボートで客船まで戻る。客船に乗る際には靴の裏をきれいに水で流す。他の島の植生を持ち込まないために徹底している。

・ノース・セイモア島へ

さて客船へ戻りランチを食べつつ、ノース・セイモア島へ。そういえば他のツアーであった旅行客やホテルの人はみんなノース・セイモア島を薦めていたなぁ。

島に近づくとこれまでツアーで周った島とはどことなく雰囲気が違う。標高がほとんどなくかなりごつごつして岩っぽいし、見るからに乾燥している。島に上陸してまず最初に迎えてくれたのはアシカとオットセイ。ちゃらいガイドが見分け方を教えてくれたのだが(たしか耳だったような)結局わからず。でも子供のアシカもいて和む。

島をずんずん入っていくと次に出てきたのはガラパゴスリクイグアナ。これまでのツアーで見てきたのはウミイグアナばかりなのでリクイグアナは初めて。体表は黄色く、そして太っている。おそらく1日目に見たハイブリッドイグアナも見た目はリクイグアナを受け継いでいるのだろう。動きもたいして機敏ではなく、天敵がいないとこういう感じになるのだろう。ちなみにリクイグアナはアシカのフンを食べるらしい。なんでもフンにはカルシウムだったかカリウムだったかの栄養素が含まれていて、リクイグアナの繁殖にとても重要だとか。

次はアオアシカツオドリ。その名の通り足が青い(体は白い)。繁殖の季節には求愛のダンスを踊るらしいのだが、それは見ることができず。非常にとぼけた表情をしており見ているだけで和む。

さらに島の中に進み、最後に出てきたのはグンカンドリ。オスはのどの下に赤い風船のようなものがあり、それを膨らませてメスにアピールするらしい。メスはオスが確保している木を品定めして、オスを選ぶらしい。厳しい世界だ・・・。思えばこの日は1日中繁殖の説明を受けていたような・・・。でも動物である以上切り離せない話だし、その動物、生態系をより深く理解するためにはとても大切なこと。ちゃらおガイドに感謝。ちゃらおガイドはとても勉強熱心で日本語も学ぶし、他のツアー客から新しい英単語を学んだりしていてとても好印象だった。

名残惜しくも最後のツアーを終えて、客船でサンタクルス島に戻る。

・最後の夕食

最終日はホテルに戻った後、ホテルの裏にあるプライベートビーチを散策。もうだいぶ暗い時間になっており潜ることはできなかったが、イグアナたちがたくさんおり、しばし写真を撮影する。

散策後、お土産を購入し例によって屋台で食事。現地の人も観光客も混じっているあの屋台の雰囲気は好きだなぁ。ロブスターのグリルは絶品だった。

■9/25

・Good Bye ガラパゴス

さて最終日。9時集合のためゆっくり朝ご飯を食べて、港へ戻る。自分たちに加えもう1人をピックアップしに来てくれたタクシーの運転手が空港まで送ってくれ、荷物もいろいろ運んだりしてくれた。(そういうシステムらしい)

ガラパゴスの空港ではちょうど新しい建物を作ろうという計画を立てていて、アメリカの全面的なバックアップで作っていた様子。世界一エコな空港を作る、と。なぜ日本が参加していないんだ~、思ったがおそらくエクアドルとはあまり接点が持ててないんだろうな、と思ってガラパゴスを後にした。

2012年9月南米旅行 Vol.4 ラパス~グアヤキル編

■9/19

・ホテル一番

前日20時にウユニをTodo Tourismoの夜行バスで出発。3時間程度はガタガタ揺れる悪路を行くがそのうち寝てしまっていたようだ。

朝4時ごろから寝ることができず、ぼーっと外を見る。やっぱりラパス近郊のほうがペルーの町より開けている。

6時前にラパス到着。ラパスのすり鉢状の市街地が朝日で照らされる様子は美しい。その様子を見ながらぐるぐると中心部へ降りていきバスターミナル到着。タクシーをつかまえホテル一番へ移動。さすがにホテル一番は有名らしくタクシーの運転手も知っていた。かなり高いところまで上ったところで急な坂の途中にホテル一番を発見。入り口は閉まっていたがタクシーの運転手が声をかけてくれて無事にホテルにチェックイン。ようやくプーノを出て以来のシャワーを浴びることができた。(寒いからそれほどウユニでは汗をかいていないのだけど)。ひげも4日間伸ばしっぱなしだったのをきれいにそり、ようやく一息つけた。

ホテルでは8時から和食の朝食。宿泊客は日本人ばかりで、その日いたのはおそらく学生。なかなかみんなハードな旅をしている様子。高山病になっている子がいたり、飛行機の予約を取り消されてしまった子がいたりとそれぞれみんなドラマがあるようだ。。。

・ラパスの街、鉱山労働者デモ

食事の後は少し休憩をしてラパスの街の観光に。ホテル一番の宿泊客おすすめのサルテーニャを食べに行くことにした。ホテルの目の前からバスに乗るのだが、バスは呼び止めても車体が完全に止まってくれるわけではない。少し動いているかな、くらいのときに急いで乗らなければいけない。降りる場合も同様。他の場所で乗客を乗り降りさせるたびにどきどきしながら見ていた。

かくして街中に到着。ちょうど鉱山労働者のデモをやっていて、一番大きな広場のあたりにたくさんの人がいた。また近くに大統領府もあるらしく武装している軍隊が通りをふさいでいるところもあった。そんな中目的のお店に到着。たいしてきれいでもないお店だったが、繁盛している様子。サルテーニャを2つ頼む。見た目は小麦で作った大きな餃子。だが中身は肉や野菜が入っており、少し甘めのスープ(肉汁?)も入っており、これがおいしい。大満足。

そのあと、とりあえず忘れ物をしたと思われるTodo Tourismoのオフィスへ行くためにタクシーに乗る。これが大失敗でデモのためにそこら中で大渋滞が起きておりバスターミナルに全然近寄れない。結局大きく山側を迂回してオフィスに到着。ところが「忘れ物があったとしてもその日のスタッフが持ち帰っている可能性が高い、すぐには持ってこれない」と。しばらくいろいろ話してみるも、そのスタッフは「そもそも持って帰ったとしても私じゃないし・・・」みたいな対応。らちが明かないと思ってしぶしぶ忘れ物の回収はあきらめる。

飛行機の時間があるのでタクシーに乗って帰り道を急ぐ。が、またしても渋滞。しかも今回のタクシーはわざわざデモをやっている街の中心に向かっていく・・・。スペイン語でちゃんと指示できなかったのが悔やまれる。フライトの2時間半前には空港に到着している必要があるといわれたのに、ホテルに荷物を取りに戻ったのがフライトの3時間前。ここから30分で空港に行ければなんとかぎりぎりか。。。

結局タクシーを呼びなおすのは大変なので、街中からホテルまで送ってくれたタクシーにそもまま空港へ送ってもらうことに。とても普通に通る道とは思えないくらいガタガタの道をジグザグジグザグしながら空港への道を飛ばす。近道なのか結局わからなかったが空港には30分で到着。日本の感覚で2時間前なら大丈夫だろうと思っていたのだが、これが甘かった。

小さい航空会社から大きなLAN Airまでラパス空港から飛ぶのだが、よりによって自分たちが使うLAN Airは30分くらいの間隔で続けてフライトがあったらしく、チェックインカウンターが大混乱。しかもチェックインは全て手動。ものすごく効率が悪い。しかも途中まで後発の便の客も、次の便の客も合わせてチェックインを受け付けていたらしい。結局最後には次に出る便の客を呼び出して一つのカウンターに寄せて受付を行う始末。結局受付待ちの並んでいた時間はほぼ2時間。たしかに2時間半前にいってもぎりぎりというのはよく分かった。

・グアヤキルへ

無事飛行機に乗ってラパスを出発。リマで乗り換えだったのだが、乗り換えた後のTACA航空は対応が素晴らしかった。さらに3時間ほど乗ってグアヤキル到着。預けていた荷物を受け取った際に異変を発見。スーツケースのチャックの位置が変わってる・・・。そのときは特に気にも留めなかったのだが・・・。

空港ではグアヤキルのホテルから迎えが来ていた。素晴らしく快適、親切な対応でボリビアとの差に思いをめぐらす。ホテルに無事にチェックインして部屋に入り、さきほどのスーツケースを開けてみると、なんと中が探られた形跡が。封を切っていなかったマクドナルドのカードの袋が開けられていたり、ケースに入っていた歯ブラシがケースから出ていたり。そして実害は・・・あった。iPod Touchがなくなっている!さすがに唖然としてとりあえずホテルのフロントに相談する。ホテルからも航空会社に問い合わせてみてくれたが営業終了、とのこと。(そりゃそうだ夜中の1時だ)。結局翌朝空港で問い合わせることにして就寝。

■9/20

・グアヤキル空港の裏側

昨夜のiPod Touch紛失の件がありつつも、グアヤキル空港からガラパゴスに行くにはそれなりに手続きが必要らしく、フライトの3時間前に到着するようにホテルを出発。最後までホテルの対応は丁寧だった。

空港に到着したらまずは荷物のX線検査と入島申請書の登録。ガラパゴス(というかエクアドル)はドルが通貨なのだが、ボリビア帰りでドルの持ち合わせがなく、しばし両替所を探す。が、結局見つからずしょうがないのでクレジットカードにてドルを引き出して無事手続きを済ませる。

次が紛失したiPod Touchの問い合わせ。疑いたくはないが、空港で荷物を預けるときにはちゃんと入っていて、預けた荷物が出てきたときにはなくなっていたのだから、その間で空港スタッフが持って行ったとしか思えない。ただしそれが返ってくるとは思えないため、空港で紛失証明書を発行してもらい、保険で預入荷物紛失扱いで対応してもらおうという算段。

だが、ここからが長かった。まずはTaca(乗り継ぎ後の便の航空会社)に行くと、LAN(乗り継ぎ前の便の航空会社)へ行ってくれ、と。でLANのチケット販売カウンターに行くとチェックインカウンターで聞いてくれ、と。チェックインカウンターのスタッフに聞くと受付スタッフは要領を得ない回答。さらに航空会社への意見を書くフォーマットを渡される。らちが明かないのでボスを呼べという話をするも、「私は知らない、後の航空会社に聞いてくれ」と開き直る始末。「出た、たらいまわし」と思いながらTacaのカウンターへ行く。

Tacaからもたらいまわしにされるかと思いきや、バックヤードに荷物預り所があるからそこへ行ってくれと。一歩前進。しばらく場所を探すも見つからず、インフォメーションセンターに聞きに行くと場所を教えてくれた。聞いた場所に行くと警備員が立っていて通してくれない・・・。英語がわからなかったらしく結局警備員は自分たちを通していいか受付に確認しに行く(おいおい)。即決で通してもらう。

無事に警備員を抜け(パスポートを預け)裏へ。航空会社のオフィスがたくさんある中からTacaの荷物預り所を探し入る。担当者がいたのだがなんとスペイン語Only。しばらくスペイン語の会話帳で頑張るもらちが明かないと思ったのか英語をしゃべれるスタッフを呼んでくれた。ようやく英語で事情を説明し、紛失の証明書を書いてほしい依頼したところ、快諾してくれた。しかも申し訳なさそうに。(彼に落ち度はないのだけど)ようやく紛失証明書をゲットした。

この段階で飛行機の出発まで残り1時間。少しぐったりして、朝食も食べずに来たことを思い出し朝食をとる。結局ゲートにはぎりぎりの時間に到着して無事ガラパゴスへ向けて出発した。

2012年9月南米旅行 Vol.3 ウユニ編

■9/17

・夜行バス

ばたばたとなんとか夜行バスで出発したがやはりランクが下がっているだけあってすわり心地はよくない。また途中で乗客の乗り降りがあるバスは危ないという話が地球の歩き方に書いてあったこともあり、途中トイレ休憩で停車した際には極度に警戒する。しかし途中停車がないバスだと気付いたので以降はしばらく睡眠。夜中2時過ぎに突然道路が悪くなり目が覚める。本当にひどい悪路でバスの揺れはまったく収まる気配なし。結局ほとんど眠ることができず朝6時ごろにウユニに到着。

・ウユニの町

ウユニの町の早朝は寒い・・・。

ウユニの町ではツアーをお願いしていた旅行会社(穂高ツアー)にバス停でピックアップしてもらうよう依頼していた。が、バスの便が変わってしまったのでピックアップがいるかどうか不安、、、あ、やっぱりいない。しばらく探すも見つからない。しょうがないので地球の歩き方でオフィスを探して向かいオフィス到着。と思ったら鍵あいてない。。。朝6時半なのでしょうがないか。途方に暮れていると横のお店の人が中に入れてくれる。どうやら穂高でツアーをした人が食事をしたりする場所なのかウユニのツアーに行った人の感謝の張り紙がたくさん。日本人もいっぱいあった。耳よりな情報もあった。

ようやく穂高ツアーの人が到着してオフィスに入れてもらう。「ごめん、バスの便が変更になったんだ。迎えに来てたら申し訳ない」「いえいえ、大丈夫。迎えに行っていないから」(爆)とボリビアはゆる~い感じ。事前のメールのやりとりでは英語のガイドがついてくれる予定だったのだが、「英語のガイドが昨日ラパスに行って帰ってこれてないの。スペイン語のガイドでもよい?もしくは他のツアーに一緒に行く?」と。えーっと、いろいろアバウトなのはしょうがないのでスペイン語のツアーにまぜてもらうことに。

なんだかんだツアーの手続きが終わりツアー出発の10時まで時間があるのでまずはお金をおろしに銀行へ。ボリビアでは日本円から現地通貨に両替できるところがない。したがって銀行でカードを使って現金を引き出すことに。ところが銀行も英語のしゃべれすスタッフはいない。ATMは何回やってもエラーが出るのでなんとか身振り手振りでお金を引き出したいことを伝え、スタッフを連れ出す。そしたらなんと一回の引き出し額が決まってるとのこと。そんなことエラーも出ないしわからないよ・・・。ともかく現金引き出し完了。

次は帰りのバス@Todo Tourismoの予約。さすがに帰りのバスまでキャンセルされたらたまらないので、ウユニのTodo Tourismoのオフィスまで押しかけていって無事2席確保。ラパスではバスがキャンセルされて乗れなかった件の文句を言ってみるも、「他のバスでちゃんとこれたからいいじゃん」という反応。心の中で次があってもTodo Tourismoは絶対使わない、と決める。

一息ついて朝ご飯を食べることに。穂高ツアーの人おすすめのカフェで朝食。スタッフは英語もしゃべれて、食事もまずまず。寒いので暖かい飲み物がありがたかった。

・ウユニ塩湖へ

10時に穂高のオフィスに集合しいよいよツアー出発。最初に車に乗っているのは自分たち2人だけ。これからピックアップしていくのだろうな、と思っていると出発して1分もたたないうちに、道端で知り合いにあったのか雑談開始。実はツアー関係者でいろいろウユニ塩湖の状況を聞いてるのかと思いきやどうやらただの井戸端会議。。。結局30分も雑談を続けた後、ようやく出発。

いくつかホテルを回ってツアー参加者をピックアップしたあと。まずは最初のポイント、列車の墓場へ。かなり年代ものの使われていない列車が荒野の中に放置されている。古い映画でしか見たようなことがないようなレトロな列車もある。なんでこんなに放置される状況になったかは謎。(そういやガイドが説明していたような)→ 地球の歩き方のサイトに経緯が載っていた。

そのあと塩湖のほとりのコルチャニ村でトイレ休憩&お土産購入。

さらに塩湖のふちのホテル、ルナ・サラダで日本人をピックアップ。ルナ・サラダは内装が塩でできていてかつ近代的なきれいなホテルだった。でも、自分たちが泊まるのはここではない。

ルナ・サラダを出て塩湖の真ん中に向けて走る。次の目的地塩の精製所に着くころには地面は真っ白。塩の精製所で車を降りて地面に降り立った瞬間の感動は忘れられない。ついにウユニ塩湖に到着!

同じツアーで回っている日本人と一緒にトリックアートをしばし撮影。

・質素なホテル

 そのあと移動し本日の宿泊予定のホテル、プラヤ・ブランカ(Playa Blanca、スペイン語で白いビーチ)へ。ここは壁もベッドも内装が全て塩でできている。観光客はトイレ休憩とお土産の購入に必ず立ち寄る。ホテルの外には各国の旗が立っていて、観光客はみんなそこで写真を撮影する。奥は塩でできた彫像のようなものもある。そして電気・水道はない

とりあえず部屋に荷物を置いてひと眠りしたあと、ホテルの目の前の塩湖でトリックアート大会。ウユニの町で仕入れたおもちゃ類を使っていろいろなトリックアートに挑戦した。

・夕暮れ

昼間一緒に回っていた日本人が夕暮れ、朝日、夜の星は必ず見たほうがよい、といっていたので夕暮れの時間に外に。地平線が見えるほど広い白い塩湖のふちに太陽が沈んでいく様子は壮大でもあり、少しずつ紫色に染まっていく大地は神秘的ですらあった。心から来てよかったと思えた。ラパスからウユニまでのドタバタのことは本当にどうでもよくなってしまうほど。日が完全に暮れるまでぼーっと眺めてしまった。

・夕食

ホテルの部屋に戻るとホテルのスタッフ(といってもご夫婦と3歳の子供一人だけど)がろうそくを持ってきてくれた。しばらくすると食事の準備ができたと声がかかる。どうやら本日宿泊するもう一組も日本人のカップルだということは日中なんとなく把握。

ろうそくの灯りの中での夕食がスタートする。パスタ的なもの、スープ的なもの、そして肉とパンの比較的簡素ながら温かい夕食だった。味は、可もなく不可もなく。穂高の人が言っていた通りvery simpleという感じ。お互い自己紹介してウユニに来た経緯やその前に周ってきた場所の話でひとしきり盛り上がる。で、自分たちは夫婦であることを紹介した後、やはり気になるのでお二人の関係を聞くと、なんとカップルではない、とのこと。こんな辺鄙な場所で電気も水道もない場所に一緒に旅行に来れるのにカップルではないとは、、、驚き。でも聞けば旅行会社の同期らしく入社以来本人たち含めグループでよく海外旅行に行っていたとのこと。今回は予定が合わず二人だったとか。たしかにお互いの旅行の趣味を知っている間柄じゃないとこんなにハードな旅行は来れないと思う。

・感動の星空

 夕食後しばらく部屋で休んだあとしばらくして星空を見に外へ。

ホテルの外に出た瞬間に絶句、感激。これほどたくさんの星を見たことがない。そして見渡す限り360度地平線のすぐ上から星空が広がっている!もちろん空も星、星、星。天の川はちょうどホテルに降り注ぐように空にかかっている。雑誌の表紙でしか見たことがないような星空をはるかに超える光景が目の前に広がっていた。地面に寝転がり星空を満喫。写真は・・・残念ながら撮影できなかったのだけど、見れただけで満足。

目をつぶればウユニの星空が見えるよう、とは妻の言葉。満足感に浸りながら就寝。

■9/18

・ウユニ塩湖満喫

ウユニは日の出も素晴らしい、と言われていたので目覚ましをかけて起きる、、、つもりが時計の時差を修正するのを忘れ目を覚ましたらほぼ日の出の時間。同宿の2人に声をかけてもらいあわてて外に出る。

一面の白い塩湖の地平からゆっくり太陽が上る様子もまた神秘的。塩の結晶のせいか、地面は一面亀の甲羅のような六角形の模様。そこに日が差していく様子もまた美しい。

しばし眺めたり写真を撮影したり。そして日が昇り切ってしまうとまたまたトリックアート(笑)。同宿の2人と一緒に4人でさまざまなポーズで写真を撮影。はしゃぎすぎて息が切れた。

朝食後もトリックアート。年賀状で使うようの写真を撮影したりして過ごすうちに12時になり、ツアーのピックアップの車が到着。

・インカワシ(魚の島)、フラミンゴ、塩湖爆走

ホテルのご夫婦と子供に挨拶をして出発。本日自分たち4人を含め日本人5人とオーストラリアから来たという中国系の2人組男女。とりあえず聞いてみるとなんとこの2人もカップルではない、とのこと。こういう組み合わせは成立するんだ・・・。男性のほうは昔日本にいたこともあり日本語ネタを交えて和む。

出発後はインカワシ(魚の島)と呼ばれる島に向かう。実際は海に浮いているわけではないので、小高い丘みたいなもの。塩湖の中に突如として岩山とそこに無数に生えるサボテン。シュールな風景。まずはそこでランチ。ランチはドライバーが持ってきていて、島のそばのテーブル+ベンチに広げて食事。味はまぁまぁかな。肉とかライスとかサラダとか一般的な感じ。外で食べるのは気持ちいいのだけど日が強いのでみんなサングラス装着。それはそれでシュールな風景だった。

ランチ後は島を探検。いきなり妻がサボテンに手をついてとげが刺さるというアクシデントはあったものの大事に至ることなく、島の頂上へ。360度の塩湖ビューは壮観だった。

魚の島のあとはフラミンゴのいる場所へ。フラミンゴって海水と淡水の混ざるポイントにいるらしい。フラミンゴのいる場所は山の下であり、雨が降ると山がためた雨水と塩湖が混じったところでちょうどフラミンゴが生息できる場所ができるのだとか。

フラミンゴの後はウユニの町へ向かって爆走。戻る途中周りに何もないところで車を止めてもらい写真撮影大会。帽子から7人が飛び出すトリックアート、ドライバーお気に入りのレクサスのまわりで屋根に上って撮影。さらに7人でウユニの文字を作ったり、塩湖をバックにExileをやってみたり。ここでもはしゃぎ過ぎて息が切れる。

・車故障

ひとしきり遊び写真も撮影し、帰路へ。みんな遊び疲れて車の中でウトウトしていると車に異変が。車のスピードがどんどん減速していく。。。車が止まる。ドライバーが外へ出て何やら手当をして再度出発。が、しかしまたしても減速&停車。今後はドライバーが車の下にもぐり工具を持って何やら作業を開始。しかし苦戦している様子。しばし様子を見ていると「荷物はあとで持っていくからとりあえず歩いていてくれ」とのこと。しかし個人で来ていたもう一人の日本人と相談したところ、「これは直らない。荷物は持って行ったほうがよい」と。

かくしてツアーの7名はウユニの塩湖のど真ん中で荷物を持って歩くことに。目的の塩湖の縁のホテルは視界に入っているため意気揚々と歩いていく。ウユニのど真ん中を歩くことができるなんて本当にラッキー、とか言いながら。

が、しかし進めど進めどホテルとの距離が縮まらない。恐るべし塩湖のだだっ広さ。遠くを通り過ぎるツアーの車に声をかけるがどれも止まってくれない。ようやく少し近くを通る車を発見し7人全員で猛アピール。いったん通り過ぎたように見えたが減速して戻ってきてくれた。どうやら仲良しだったらしく、今乗っているツアー客をホテルに降ろしたら後で迎えに来てくれることに。今思うとあのときの猛アピールがなかったら、その日は目的地に到着できていなかったのではないかと。人生はつくづく冒険だ。直感が大切。

無事ピックアップしてもらい、同じツアーの客を各ホテルまで送っていき、最後は自分たち2人を連れてウユニの町まで。帰る途中に車が他のガイドをピックアップしていったのだが、このガイドはやたら日本人に詳しい。よく聞くと弾丸トラベラーで日本人の女優さん(鈴木砂羽さん?)が訪れたときにガイドをしたとか!日本人の評価は高かった。彼も超ナイスガイだった。

・帰路へ

心優しいドライバーのおかげで無事にウユニの町へ到着。穂高の人は経緯を知らなかったようで、車が故障し自分たちが別の車で帰ってきたと聞いて心底驚いていた。その連絡状況もどうなん、と思うところはあるものの代わりに送ってくれたドライバーも友達だったよう。

これからまた夜行バスなので、乗る前に腹ごしらえ。7月14日みたいな名前のレストランがおすすめだったのでそこへ入り注文。だが時間がなくピザが出てこない。やむを得ずスープのみ食べてピザはお持ち帰りにしてもらう。

あわてて帰りのバス会社Todo Tourismoへ。今回はちゃんと予約が確認できた。Todoのオフィスでピザを食べてバスに乗り込みいざ出発。

・バス or 飛行機?

今回はラパス⇔ウユニ間の往復はバスを利用した。地球の歩き方には飛行機(アマゾナス航空)も紹介されていたが、飛ばないことがあるとの記載があったため今回はパスした、のだがウユニであった日本人2人組み、オーストラリアからの2人組みともなんと飛行機利用。しかも時間通り飛んだとか。飛行時間約45分、料金1万円。かたやバスは夜行で9時間、2,000円弱。あのバスのつらさを思うと圧倒的に飛行機利用のほうがよかったな、と思う次第。

2012年9月南米旅行 Vol.2 プーノ・ラパス編

Vol.1 クスコ・マチュピチュ編から続く)

■9/15

・InkaExpressでプーノへ

妻の看病のおかげもあり、夜中のうちに熱は下がってなんとか出発できる状態に。朝ご飯を食べてホテルからタクシーを呼んでもらいInkaExpressのバス停へ。道が混むかと思いきや朝だったため出発の1時間前に到着してしまった。これなら朝ご飯もっとゆっくり食べればよかった。。。

InkaExpressの利用客は旅行客ばかり。しかもプーノへ行くくらいなのでみんなしっかりしたトレッキングシューズをはき防寒対策をしている。

バスは2階建てのかなりきれいなもので、そのうえ自分たちの席は2階の最前列!サービススタッフも乗車しており移動中にはドリンクや軽食のサービスがついていてかなり豪華。日本ではあまり豪華なバスツアーというのはお目にかからないのだが、陸路はバスが中心のペルーでは豪華なバスも歓迎されるのだろう。

・プーノへの道中

いざ出発すると本日のガイドがマイクにてご挨拶。ガイド、ドライバ、サービススタッフの紹介に始まり本日の行程を英語・スペイン語の両方で紹介してくれた。やたら行程の説明のときにランチを強調していた。

InkaExpressは日本でいうはとバスみたいなもので、ガイドがついていて道中いくつかのポイントで下車し、ガイド案内つきの観光をしながら最終的にプーノに到着する。

1つ目の目的地はANDAHUAYLILLASという教会。天井・壁に金をふんだんに使っており豪華。キリストはクスコで大地震があったときにここへ持ってきたものとか。内装に使っている金は16(17?)世紀にスペインが繁栄を誇った時代に集めたもの、だとか。自分には強烈な色彩だった。

2つ目の目的地はRaqchi。インカ時代の寺院があるところ。羊たちがおり露店もあり風景もよい場所だったのだが、少しずつ体調が悪くなり早めにバスに帰還。妻の話によればRaqchiにはアルパカを連れている人がいたのだが、カメラを向けるとお金を請求されるとか。

3つ目の目的地はSicuani。ここでランチをする。ビュッフェ形式でいわゆるペルー料理。初めてアルパカを食べたが脂っぽかった。体調はあまりよくなくそれほど食べられず。

4つ目の目的地はLa Raya。今回のルートで一番標高が高い(約4,300メートル)場所。アルパカ製品を売っていたりするのだが、さすがにここでは空気が薄いということを肌で感じる。早々に退散。バスのガイドに頼んで酸素を吸わせてもらった。

最後の目的はPukaraという美術館。だがここではさすがに体調も限界でバスから降りず。。。

あとはプーノに向けて走る。森林限界を超えているため基本はげ山。ときどき羊の群れとごくわずかの緑があるだけ。さらにプーノに近づくとチチカカ湖のほとりに。チチカカ湖はきれいだった。4,000メートル弱の高さで海のような青さの湖があるのは不思議な感じ。

バスはプーノのバスターミナルに到着して、そこで解散となった。

・ついに高山病

ホテルにチェックインして、翌日のラパス行のバスを手配。そのあと体調不良の件で海外旅行保険のセンターにかけようとするもコレクトコールのかけかたがわからない。ホテルもコレクトコールに対応していない様子。しょうがないのであきらめて翌日ラパス到着時にホテル一番行くことに決定。しかし、、、ちょっと休むと思ってベッドに横になった途端に悪くなり始める体調。夜9時過ぎには震えが止まらず頭がぼーっとする。ついに妻にホテルのドクターを呼んでもらうことに。

ホテルのドクターが到着し診断してもらうと高山病だ、と。指に小さな機械(血中の酸素濃度をはかるらしい。)をつけると脈拍(?)が異常に高いとという。問題は脈拍の高さと扁桃腺のはれの2つで、まずは血圧をどうにかする、と。すぐに薬を飲み、酸素を吸う。最後には注射(肺の拡張のため?)までする。ドクターとコミュニケーションをとれたこのときほど英語をちゃんと勉強しておいてよかったと思ったことはない。

酸素を吸い終わったころにはだいぶ脈拍も下がりだいぶ症状も落ち着いた。処方箋を書いてもらい治療は終わり。そのあとホテルのそばの薬局で薬を購入しその日は終了。

■9/16

・プーノからコパカバーナへ

翌朝は早起きして酸素を吸った後出発。ホテルまで本日乗るバス会社のスタッフが迎えに来る。バスは2人でS/.50。バスターミナルに到着してみるとどうやらバスの手配会社と乗るバスは異なっている様子だったが無事バスに乗り込み出発。本日も昨日に引き続き2階建てバス!でもガイドはスペイン語のみ。

今日は観光も特になくひたすらチチカカ湖のほとりを走ること2,3時間。ペルー・ボリビアの国境でバスを降り出国・入国手続きを済ませる。手続きが終わり待っている間、後部にキリストの絵を描いたバスを発見。ペルーにはたしかにキリストの絵が多かった。

再度バスのところに集まるとバスを乗り換える、とのこと。乗り換えるバスはなんとさきほどのキリストの絵のバス(驚)。どうやら道が悪いから小さいバスで行くらしい。全員で乗り換えでこぼこの激しい道を揺られること30分ほど。コパカバーナに到着した。

コパカバーナでは乗り換えのバスを案内され、次のバスまでの時間をつぶす。かなり店・ホテルが多くにぎわっている。また水辺にあり、湖の景色がきれいなためリゾート地に来たかと思ってしまう。パン生地に包まれた肉まんのようなもの(サルテーニャというらしい)とインカコーラのランチをとる。

時間が来たのでバス乗り場に戻ったところで問題は起きた。なんと会社が違うから乗せられないと。英語が話せる案内所のスタッフに聞いても同じ答え。ふと思い出して元乗ってきたバスの事務所がそばにあったことを思い出し行ってみるもなんとカギが閉まって誰もいない(驚)。しょうがないので再度案内所に戻り直前に乗ってきたバス会社ではなく代理店の伝票を見せると、しぶしぶ乗せてくれることに。これ黙って引き下がっていたら絶対その日のうちにコパカバーナから移動できなかったな。

しかし冷静に考えると乗ってきたバスの事務所がそばになるのに、違うバス案内所に連れて行かれるのもおかしな話なわけで。しかもその連れて行った人は元々バスに乗っていたのではなく国境から乗ってきた人。うーん、疑うべきだった。。。今回の教訓は言葉が通じないなら、同じバスに乗っているスペイン語がわかる人の顔を覚えておき、その人についていくこと。

ということでコパカバーナを出発。残念ながらバスは1階建て、内装を見ても乗っている客層を見ても明らかにランクダウンしていた。途中いきなりバスを降りろといわれ、警戒しながら降りるとなんとバスを船に乗せて対岸へ運んでいる。こんな光景は初めて見たため若干ショックを受けた。自分たちも船で対岸に渡る。渡ってからもしばらくバスが来ないので、必死に同じバスに乗っていた乗客を目で追いかける。無事バスが到着してラパスへ向けて出発。

・ラパスへ

ラパスへの道は4時間ほど。ボリビアのほうが高地にはあるのだろうが、町が集約されている印象。単独で建っている家はあまりなく必ずいくつかの家が固まっていた。またところどころ看板も目に付く。(ペールは看板すらなかった)ボリビアのほうが政府主導でいろいろ投資をして会社を誘致したりしているのかもしれない。

・Todo Tourismo

今回の2つ目の目的地ウユニへは、ラパスから夜行バスを使っていく。日本から事前にTodoTourismoという地球の歩き方にも載っているバス会社をネットから予約していたため、ラパス到着後バス会社の事務所へ向かう。気になるのは予約後にメールを送っても返信が一切ないこと。

日曜のため建物のカギは締まっており、インターホンを押すと「今日は満席だ」との回答。ん?と思い予約をしていることを説明し、カギをあけてもらう。3Fの事務所に到着し今日の予約をしている旨を告げると、「本日の便はすでに満席だから乗れない。明日ならある」と。不運なことにスペイン語しかそのスタッフはしゃべれない。Google翻訳を使い英語→スペイン語で、「以前から予約をしている、リマインドメールも本社あてに数回送っている、本社と話させろ」と説明。本社に英語ができるスタッフがいるから電話をしてもらうことに。

電話が通じて開口一番「前日までに支払いがなかったのでキャンセルした」と。ちょっと待て。リマインドメールを送ったのに支払方法の案内も送ってきてないだろう!と詰め寄ると「ネットからの予約は1日1,000通くらいメールがくるので全部対応できていない」と。おいおい、何のためのネット予約だよ、、、こっちは予約してるんだ、システムから予約情報を探せとさらに詰め寄ると何やら言い訳。あげくの果てには電話を切りやがった。結局事務所にいるスタッフを通じてシステムを探そうとしてもらうがなんとパスワードを知っている担当者と連絡がつかない、と。20分ほど待つが状況は改善せず。

困り果てて宿泊予定のホテル一番に電話し助けを求めると、「どうしようもないから、他のバス会社を探せ。バスはあと20分で出発する」と。これには従うしかないので事務所のスタッフを連れてバスターミナルへ。(他のバス会社のスタッフとスペイン語で会話する必要があると思ったため)。

1つ目の会社、満席。2つ目の会社、なんとか2席空きを発見。Todo Tourismoの半分の値段に一抹の不安を覚えつつも背に腹は代えられないので予約。

事務所スタッフに礼を言って、超ドタバタしつつも何とかウユニへ出発。

(Vol.3 ウユニ編へ続く)

2012年9月南米旅行 Vol.1 クスコ・マチュピチュ編

2012年9月、1か月の休暇を使って3週間にわたり南米のペルー・ボリビア・エクアドルを旅行してきた。その旅行記を各国毎に分けて時系列で(芸がなくてすいません・・・)書いていきたいと思う。

■9/11

・成田~リマへ

NRT 15:55~HOUSTON 13:45、HOUSTON 15:30~LIMA 22:10と乗り継いでLIMAへ。FlightはANAとUnited Airlinesの共同運航便。合計20時間程度飛行機に乗っている長い旅だった。途中Houstonでの入国審査はそれなりに時間がかかったが、ESTAの申請も事前にやっておいたため問題なく通過。

さてLIMAに到着して荷物をピックアップしてゲートの外に出ると、、、名前を書いた紙を持った迎えの人がたくさん。なのに、あれ、自分の名前を持った人が見つからない・・・。探しても探しても見つからない。迎えを頼んだはずなのに。

これは来ないなと観念して他の日本人観光客を迎えに来たらしい、日本人のガイドに相談。結局ゲートの外に待っているタクシーじゃなくて、ゲートの中にあるリムジンサービスを利用することに。$40。。。少々高いが安全のためにはしょうがない。

リムジンで一路ホテルへ。ホテル、LIMA NM Hotelは新市街にあり新しくきれい。欧米からの出張の方が好きそう。フロントでスペイン語(飛行機の中で覚えたてw)であいさつするとスペイン語で説明を始めたのであわてて英語に切り替え。対応は丁寧でした。そんなこんなでホテルにチェックインして、時差の関係で40時間近くあった9/11は終了。

■9/12

・リマ~クスコへ

リマ~クスコの距離感って全然わかっていなかったのだけど、「マチュピチュに出来るだけお金をかけずに行ったらちょっとした冒険になった」を読んで恐れをなし、飛行機を確保。というわけで朝ご飯を食べて7時45分にホテルを出て空港へ。両替し飛行機へ。国内線なのでスムーズ(だったはず)。今回はTACA Airlineだった。TACAの飛行機はずっと雲より低いところを飛んでいたのか窓から南米の山地(緑がまったくない・・・)を見ながらのフライトだった。

・クスコのホテルへ

空港に到着し、すぐにしなければいけないのが足の確保。クスコでは看板を乗っけたタクシーは安心ということだったので、空港の外に出て看板を乗っけたタクシーを確保し行き先を伝える。アルマス広場の脇の小道をあがっていったところで、その通り(Calle Suecia)までは知っているようだがホテルは知らず。ホテルも看板を出していなかったので番地だけを頼りに運転手とホテル探し。無事ホテルを見つけ運転手がホテルであることを確認してくれたので一安心。

実は9/12はこのホテル(Rumi Wasi)宿泊ではなく、マチュピチュにいく間の荷物を預かってもらうために寄ったのだが、事前にメールをしていたこともありホテルのおじいちゃんは気さくに対応してくれた。そして英語もOK。過ごしやすそう。無事荷物を預けて一路クスコの街へ。

・クスコでの用事

マチュピチュに移動する前にクスコではいくつか用事があった。

用事その1。マチュピチュの入山チケット購入のためにMinisterio de Cultura(文化庁)へ。マチュピチュの入山は事前予約制でWEBからも予約できるはずだったのだが、クレジット決済がなぜかできず、結局日本では購入できずじまい。というわけで直接クスコで購入となったわけだが・・・。

さっそく問題発生。なんと(というかやはりというか)入山制限のあるワイナピチュ山の入山が予約でいっぱい、とのこと。え、ここまで来て入れないの・・・?少々粘ってみるがまったく取り合ってくれず。しょうがなくマチュピチュ山のチケットを購入。ブルーな気持ちを抱えて次の用事へ。

用事その2。9/15に乗るInkaExpressのチケット購入。ホテルに届けることもできたらしいのだが、クスコのホテルに滞在するのが9/14の夕方の少々の時間だけだったため、タイミングが合うか自信がなく前倒しで購入。InkaExpressのオフィスで購入。スタッフは英語もしゃべれて順調に終了。

・オリャタイタンボへ

マチュピチュへ向かう電車はクスコからではなくオリャタイタンボから出る。クスコ~オリャタイタンボは車で約2時間。朝の移動はいやだったので前日のうちにオリャタイタンボへ移動すべく、地球の歩き方に書いてあるコレクティーボ(Collectivo)乗り場のあるPavitosへ。タクシーでPavitosへ向かったのだが、タクシーを降りる際に声をかけてくるやつがいる。英語がしゃべれないらしくスペイン語でいろいろ説明するがうさんくさい。だが「コレクティーボか?」と聞くと「そうだ」というのでその男についていくことに。

案内された先にあるのは普通のワゴン車。「え、コレクティーボってバスじゃないの?」と思っていたらどうやらそれはこちらの思い違いで、このワゴンがコレクティーボらしい。ただの乗合ワゴンじゃん!しかもぎりぎりまで人を乗せてスタートするのでなかなか発車しない。結局10人ぎりぎり乗ってのスタートと相成った。乗客は観光客もいるが地元民もいる様子。S/.10だとそりゃそうなるか。

クスコからオリャタイタンボへの道はかなりがたがた、悪路の部類に入ると思う。山道で動物を見ながら行くも途中からガン寝。うとうと、というレベルではないくらい寝ていた。(今思うとこれが高山病の予兆だったのかも。。。)

いくつかの村を通過し、オリャタイタンボらしき場所に到着。降りるかどうか聞かれたが正しい場所かどうかわからない。「でもオリャタイタンボか?」と聞くと「そうだ」と聞くのでとりあえずあわてて降りる。降りて車が行ったところで問題発生なんと帽子がない。寝ていてあわてて降りた際に車においてきたようだ。。。

そのあとオリャタイタンボでのホテル(Hostal Samanapaq)はすぐに発見できて無事チェックイン。でもさすがに帽子がないときついだろうので、Cusco/Machu Picchuと書いた帽子をS/.10でゲット。

2日目にしてマチュピチュ入山チケット取れず、帽子をなくすというトラブルだらけの道中にさらにブルーな気持ちを抱えつつ9/12は終了。

■9/13

・オリャタイタンボ~マチュピチュへ、のはずなのだが・・・

オリャタイタンボからマチュピチュへ向かう電車の始発は早い。6:40出発。移動等もろもろ考えて6:00出発にするために5:30に朝食を用意してもらう。そしてホテルに挨拶して意気揚々と出発。10分くらいといわれていたが駅は実際には20分かかり到着。そして日本から予約していたIncarailの予約していたチケットを支払い、チケット受け取り、電車乗り場に行った際に問題発生。なんと1日前のチケットを予約していたことを電車のサービススタッフが指摘。これには自分でもあきれるばかり。。。

でもサービススタッフは「早くチケットオフィスで交換してきなさい」(といったと思う)というので、チケットオフィスに行くも、「予約でいっぱいだから交換できない」と。「サービススタッフができるといった」「でも席がないものはどうしようもない、サービススタッフのミスだ」と押し問答をしている間に電車は自分たちを残して出発。。。

ようやく冷静になり善後策を考える。結局往路分は前日に出発しているのでパーになり、改めて一番早い他の電車会社(Machu Picchu Train)の便を新規に予約、復路分はまだ出発していないので10%の手数料を払ってチケットを1日後ろ倒しすることにした。

マチュピチュへの道は2時間弱。山間の両側から結構山が迫っており、なかなか迫力あり。車中ではドリンクとサンドイッチが出た。

マチュピチュについて復路のチケットを変更しようとオフィスに行くと、オリャタイタンボでのスタッフが連絡しておいてくれたらしくスムーズにチケット変更。感謝。

・マチュピチュ山へ

マチュピチュ遺跡のふもとの町(アグアス・カリエンテス)のホテルにチェックインして、いざマチュピチュ遺跡へ。アグアス・カリエンテスからマチュピチュ遺跡まではバスで移動。大して立派でもない道なのだけど、バスが頻繁に行き来していて途中、カーブでぶつかりそうになってヒヤリとする場面も。。。

マチュピチュ山は11時までに入山しなければいけないらしく、遺跡を後目に山の入り口へ直行し無事11時前に入山。片道1時間半程度と案内を受ける。しかし、ここからが長かった。。。

天気はやや曇り気味。登り始めからすぐに立ち止まるポイントごとに遺跡が見下ろせ、テンション高く写真を撮影していたが、なかなか頂上は見えてこない。比較的軽装の外国人もいたりして楽勝かと思っていたのだが意外と傾斜がきつい。途中から雨も降り始める。片側が山、片側は崖という細い道もありだんだんきつい登山に。。。途中スタッフが残り時間を案内してくれる場所があったのだけど、そこで聞いたのは残り45分。あと半分残ってるし。。。

比較的テンション高くやってきた外国人グループも途中から意外な長さにお疲れ気味。それでも頂上が見えてくると少しテンションUp↑。

結局2時間ほどかかり頂上に到着!視界を遮るものがない中、眼下にマチュピチュを見下ろす景色はやはり壮観で気持ち良い。かなり切り立った山の上に遺跡があるため、空中遺跡というのもうなずける。頂上では外国人の若者のグループが思い思いの場所に陣取り眼下に見えるマチュピチュを見下ろしていた。

しばらくすると雨が降ってきたので強くならないうちにと合羽を着て下山を開始。来た道と同じ道を下るのだがやはり下りのほうが高さを感じて怖い。。。(高いところ苦手。)雨もあるので下りは黙々と下山し、1時間半程度で下山しきった。

残念だったのはスペイン語が話せず、登山者との会話を楽しめなかったこと。高齢の登山者もいて会話を楽しみながら下山しているグループもあったがそこには混じれなかったのは残念。

下山後はそれほど時間もなかったので30分程度遺跡を見て回り、翌日遺跡部分は再訪することに。(翌日は登山もないし遺跡に時間を使えるため)。何よりも足が棒状態で歩くのがきつかった。

・再度マチュピチュのチケットを買いに

行き同様バスにて遺跡からアグアス・カリエンテスに向かう。アグアス・カリエンテスでは真っ先に文化庁へ翌日のチケットを買いに行く。ここで、いうだけならタダと思い「ワイナピチュのキャンセルは出てないか?」と聞くと「1人分ある」と。「うちら2人なんだけど」というと「日本人か?」の確認の後、何やら電話をかけている。もしや!と思い待っているとなんとワイナピチュのチケット2名分を用意してくれた!かくしてマチュピチュに来て2日連続登山という日程が確定した。

・ホテルチェックイン~夕食

予約してあったホテルにチェックイン。なかなか分かりにくい場所ではあったが、部屋にはWelcomeサービスで果物が!とりあえずバナナで体力補給。そのあとお店を冷かしながら晩御飯へ。それほど食欲がなかったが外国人多めのイタリアンレストランで夕食。ま、可もなく不可もなくという感じ。翌日に備えて早く寝る。

■9/14

・ワイナピチュ登山へ

前日買ったワイナピチュ山のチケットは7:00出発のグループ。ということは5時半にアグアス・カリエンテス出発のバスに乗る必要があって、そのためには5時頃には食事をとる必要があって、結局4時起き。朝からいろいろ行動し始めると、やっぱりこれくらいの起床時間になるんだよね。。。

無事5時半のバスに乗りマチュピチュ遺跡へ向かう。朝の遺跡は寒いのだけど清々しい。軽く遺跡を散策しつつワイナピチュへの登山入口へ行くと日本人がたくさん!一番先頭も日本人!女の子はみんな山ガール風の格好をしているのですぐに分かる。

7時を少し過ぎて登山入り口は開門。ウチュイピチュには行かず、ワイナピチュを目指す。遺跡から見上げるとかなり急だと思っていたのだが、やはり噂通りの急な傾斜。途中ロープを張ってある場所もあり軍手を持ってきて正解だったと思う。天気は快晴で途中から汗だくに。眼下に見える遺跡もマチュピチュ山よりは近く、はるかに迫力がある。行った人たちがワイナピチュのほうを進めるのは納得できた。

途中、少し道を外れて住居後(あんな急傾斜のところにも!)のようなところで写真を撮影したり、行きかう登山者と話をしたりしながら頂上到着!頂上は大混雑で、頂上の岩になかなか登れない。やっと頂上に上って聞こえてきたのはなんと関西弁(苦笑)!さすが日本人に大人気スポットだけある。そういやワイナピチュはマチュピチュ山に比べ人も多く、年齢層も幅広かったな。

ワイナピチュはマチュピチュ山に比べ小さく、急傾斜なため頂上にいるとより一層空の上にいるような感覚になる。日本では感じたことがない。絶景だった。

30分ほど頂上付近に滞在したあと下山開始。これだけ急傾斜を上ってきているので下りのほうが当然怖いわけで。しかも下を見ると地面はたぶん1,000m以上くらい離れている。目の前だけを見て、お尻をつけながら下山した。それにしてもこんな急傾斜のところに住居らしきものを作り、こんなところに住むなんてインカの人々はすごい。絶対高所恐怖症の人なんかいなかっただろう。

・遺跡見学

昨日同様ワイナピチュから戻った時には足が棒状態になっていた。そして足が棒状態の人間が回るにはマチュピチュ遺跡は広すぎた。。。それでも主神殿と日時計以外はなんとか回る。この高地にあれだけの石材を持ってきて、加工し、住居を作ったことが技術的にも、必要な労働力の点でも信じられない。2階から出入りできる建物や水路も堀られている。インカ帝国ややはり圧倒的な力を持っていたのだと実感。

遺跡のうちで最後にまわった箇所でうれしいサプライズが。入ってすぐのところにある見張り小屋を今回は順番の関係で最後に回った。が、その見張り小屋の奥からのマチュピチュの眺めが圧巻だった。山の上からの眺めはともすれば遺跡が平面的に見えてしまうのだが、見張り小屋の奥の段になっているところからはマチュピチュ遺跡+下を流れるウルバンバ川が見える。その景色が立体的で圧倒的な存在感を持っていた。正直マチュピチュ山、ワイナピチュ山から見た眺めよりも迫力があり気に入った。棒になった足を引きずって登ってきて本当によかった。

・帰路、クスコへ

ワイナピチュにも上り遺跡も見学し満足感に浸りながら帰路へ。帰路は1日後ろ倒しで予約していたIncarailで。ドリンクやお菓子が出たのだが、2日連続の登山もあり熟睡。まわりの乗客もおおむね熟睡だった。

Incarailでオリャタイタンボに到着したら、クスコまでの足を探す。と、見たことがある顔がと思ったら往路で乗ったコレクティーボの声をかけてきたおじさんだ。ここぞとばかりに車中においてきた帽子のことを聞くが見てない、と。でも他のコレクティーボを探すのも面倒くさいのでそのおじさんのコレクティーボに乗ることに。ところが、トイレに行ってからコレクティーボのところに行くと自分たちのことを忘れていたらしく、後部座席ではなく運転席の横に座らされることに。適当さにあきれつつも出発。

運転手は敬虔なクリスチャンらしく、車のミラーのところにもキリストのお札みたいなものをつけており時々触って十字を切っていた。スペイン語でいろいろ話しかけてきたのだが、残念ながらあまり答えられず。。。最初は運転席に座っているという緊張感もあり目を覚ましていたのだが、途中から熟睡。気が付いたらクスコに到着していた。一応運転手にも帽子のことは聞いてみたが、どうやら運転手は個人事業主のようなものらしく、声をかけてきたおじさんの会社に所属しているわけではないから知らないとのこと。あきらめてホテルへ。

・クスコの夜

コレクティーボを降りてタクシーをつかまえホテルへ。このころには数字と行き先くらいはスペイン語で言えるようになっており、比較的容易にホテルへ到着。まず第一にやったのは3日間にたまった洗濯。ホテルのスタッフはとても親切かつ対応が早い。洗濯をしたいことを伝えてから、時間が遅かったにも関わらず1時間で洗濯を完了できるランドリーを見つけてくれた。

夕食のためにホテルを出て広場へ。アルパカ製品を路上で売っているおばちゃんからいくつか買う。途中かPolicia Tourismo(観光警察?)が巡回してきていた。こういうところで治安を保っているんだな、と感心。

夕食日本人には有名なプカラで。ただあまり食欲はなく2人でスープ+メイン1品とビール。味はおいしかった。が、いかんせんこのビールが悪かった。ビールを飲んでから食欲が全くなくなる。結局2人で頼んだ料理を食べきれず。

ホテルに戻ってからも気分がすぐれず夜中過ぎには寒気・熱まで。ホテルのスタッフに氷を持ってきてもらい必死に熱を下げる。翌日朝7時半にはプーノへ行くバスに乗らなければいけない。幸い朝までに少し熱も下がり出発できる状態になった。

(Vol.2へ続く)